わいず会員が在大阪・神戸米国総領事にインタビュー

2023年08月21日 | 国際交流部

 わいず倶楽部・国際交流部のメンバー7人が7月20日、在大阪・神戸米国総領事館を訪れ、リチャード・メイ総領事(当時)にインタビューしました。メイ氏は、3年間の任期を終え、8月で関西を離れるのを前に、日本での思い出や日米関係、2025年大阪・関西万博への期待などを語ってくれました。

 <メイ氏は、1981年に文部省(当時)の英語教育プログラムのフェローとして初来日し、徳島県に1年間滞在。87年に国務省に入省し、外交官として日本で勤務するのは4回目>

(※以下、国際交流部メンバー=Q、リチャード・メイ氏=A)

Q 総領事としての任期中、最も印象に残った良い思い出は何ですか。

A 5月に広島で開かれた先進7か国首脳会議(G7サミット)です。バイデン大統領が4日間、広島に滞在しました。1国の滞在期間としては異例の長さで、今回のサミットの重要性を示しています。G7のリーダーや、EUの代表者らが広島を訪れたこと、とりわけ、ウクライナのゼレンスキー大統領が広島を訪れたことに特別な意味がありました。

 ゼレンスキー氏は、平和記念資料館を訪れ、原爆による破壊に心を揺さぶられていました。彼は、壊滅的な被害から立ち直り、生まれ変わった広島のように、祖国ウクライナが明るい未来を持てるという希望を与えてくれた、と語っていました。

 G7サミットの後(6月29日)、広島市の平和記念公園と、米国ハワイ州のパールハーバー(真珠湾)国立記念公園を「姉妹公園」にする協定を結べたことも良かったと思います。二つの公園と、二つのミュージアム(広島平和記念資料館とアリゾナ記念館)が情報を共有することで、平和のメッセージを広め、両国の若者が、共有する歴史をよりよく理解できるようになるでしょう。私は、このことを非常に誇りに感じています。

Q 初来日した約40年前と比べ、日米関係はどう変わったと思いますか。

A 40年間で日米相互の結びつきは強くなり、相互理解が深まりました。両国の最高指導者から一般市民まで、社会のあらゆる階層で結びつきは強まりました。互いに話しあい、訪問しあい、ホームステイをしてきた結果、お互いをより密接に感じるようになりました。40年前、私が日本について学んでいた頃は、貿易摩擦や日米の違いに関する話ばかりでしたが、今日、私たちは以前より多くの共通点を持ち、お互いを評価しあっています。

 人間関係において重要なターニングポイントが2011年3月の東日本大地震でした。アメリカ政府と米軍は、被災地で「トモダチ作戦」を行いました。米軍兵士たちは「なぜ、トモダチ作戦に参加するのか?」と聞かれ、「日本は私のホーム(家、故郷)」と答えました。日本の基地に配属されたから参加するのではなく、日本の友人や隣人を助けたいから、そうするのだと。そのおかげで、公的なレベルで両国の良好な橋渡しが出来たと思います。

 米国内でも、多くのアメリカ人が、日本を助けようと何百万ドルもの義援金を集めました。また、かつて東北の町で勤務した後、アメリカなどに帰国していたJETプログラム(※)卒業生たちも、ボランティアとして被災地に戻ってきました。大変な時だからこそ、助け合う。それが人間関係の真の強さだと思います。

 ※JETプログラムは、「語学指導等を行う外国青年招致事業」(The Japan Exchange and Teaching Programme)の略称。地方自治体が総務省、外務省、文部科学省及び一般財団法人自治体国際化協会(CLAIR)の協力の下に実施しています

Q この40年間、日本を見てきて残念に思うことはありますか。

A 私が日本で英語教育プログラムに携わってから約40年経ちますが、日本人の総体的な英語力に変化が見られないことは残念です。領事館では英語教育を積極的にサポートしてきましたが、日本人の英語能力は未だ国際レベルに達していないと感じます。

 英語が使えれば、世界中の多くの人とコミュニケーションが図れます。G7広島サミットでも英語が共通言語でした。英語を習得するコツは、たくさん話す機会をつくること。そして、引っ込み思案にならないことです。英語ができるのに、自信のなさからか、I cannot speak Englishで話し始める日本人が多いですね。でも、この言葉は必要ありません。間違えて当たり前なので、もっと自信をもって自分の意見が言えるようになってほしい。この点で注目しているのが、高校生や大学生が大使役となり、英語でディベートする「模擬国連」です。学生たちには、どんどん海外に出て経験を積み、自信をつけてほしいと思います。

Q 2025年大阪・関西万博への思いや期待を聞かせてください。

A 1970年の大阪万博でアメリカ館(パビリオン)は大人気でした。前年(1969年)にアメリカが初めて月面着陸に成功し、持ち帰った「月の石」が展示されたからです。

 今回(2025年)のアメリカ館の展示内容はまだ分かりませんが、70年の万博と同様に、みなさんに見に行きたいと思ってもらえる印象的な展示を用意していることは間違いありません。月の石と同等かそれ以上のものになるはずです。とても有益で楽しいパビリオンになると思います。ぜひ、訪れてください。

Q 総領事の仕事は激務だと思います。仕事を辞めたいと思ったことはありませんか。

A 辞めたいと思ったことは、ありません。私は約30年前、名古屋のアメリカン・センターのディレクターだった頃から、いつの日か在大阪・神戸総領事館のトップになれたらいいなと思っていました。この仕事に就くことは私の夢でしたし、実現して本当にうれしかった。着任して3年たち、あと3週間で仕事も終わりますが、悔いはありません。とても幸せです。

Q 47都道府県を全て訪れたそうですが、最も印象に残った地域や体験を教えてください。

A 四国でお遍路(四国八十八か所巡り)をしたことです。約40年前、日本で最初に暮らした徳島県で、お遍路のことを知り、とても興味を持ちました。総領事になってから、四国に行く機会があり、挑戦しました。全ての寺を徒歩ではなく、ほとんど車で回りました。

 四国4県を1県ずつ、3日か4日かけて回りました。一部、歩いたところもあります。(四国巡礼者は弘法大師と二人連れという意味で)「同行二人」といいますが、私の場合は、「同行三人」でした。徳島県の保護犬シェルターで譲り受けた柴犬と一緒に回ったからです。

Q 3月のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)を機に、日本でもメジャーリーグの人気が高まっています。メイ氏も野球は好きですか。子どもの頃、プレーしましたか。

A はい、野球をしていました。速いボールが打てなかったことを覚えています。野球に関して、一番楽しい思い出は、7月に広島市で行われたプロ野球・広島対阪神戦の始球式で投げたことです。この日のために、元メジャーリーガーのマック鈴木さんに、神戸の野球場で投げ方の手ほどきを受けました。そのかいもあって、始球式の本番では、阪神の一番打者・中野拓夢選手を相手に、ストライクを取ることができました。

 スポーツには、国境を越えて世界中の人々を結びつける力があります。野球はその好例です。だから私は野球が好きなのです。今は関西に住んでいることもあり、阪神ファンです。

<参加した国際交流部員>伊藤育子、小山愛有裡、岑尾信江、小口睦子、小田卓美、藤澤希生、友尻了介
事務局>音田裕一郎、元永達夫

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