「学びの時~人生の道しるべ~」――薬師寺・大谷徹奘(てつじょう)さん法話

 薬師寺境内の蓮(はす)の花が咲き始めました。蓮の花を見ると思い出す言葉に「さとりは迷の道に咲く一本の花である」=写真=があります。

 この書を揮毫(きごう)されたのは、仏さまの教えを一般に広めることに生涯を捧げられた僧侶であり、宗教学者だった友松圓諦(えんたい)先生(1895~1973年)です。

 時を同じくして活躍された「二十世紀最後の怪僧」の異名を持つ、薬師寺の橋本凝胤(ぎょういん)和上(1897~1978年)をして、「師は素晴らしい」と言わしめたお方です。

 この書は修行を始めた頃に父から譲られたものです。父・大谷旭雄(きょくゆう)(1934~2006年)は僧侶であり、大正大学教授を務めた仏教学者です。友松先生から親しく教えを受けたそうで、この書を大切にしていたのを覚えています。

 私が友松先生の教説に深く傾倒するようになったのは、師匠・高田好胤(こういん)和上(1924~98年)が病に伏し、やるせない気持ちで過ごす中で、友松先生による法句経の翻訳である「仏陀の言葉」を手にした時でした。その深くて優しい翻訳は、お釈迦さまから語りかけられているかのように思え、貪(むさぼ)るように読み返しました。そして間もなく迎えた師匠との惜別により、とめどなく溢(あふ)れる「愛別離苦」から私を救ってくださいました。それ以来、片時も離せない大切な教本となっています。

 余談になりますが、父が生まれた1934年は、くしくも友松先生がNHKラジオで「法句経」の講義を始められ一世風靡(ふうび)した年です。ここに友松先生との深い仏縁を感じずにはいられません。

 「蓮」は仏さまにも例えられる花。「泥沼をくぐりて清き蓮の花」「花開きて仏を観(み)る」と、師匠は蓮の花になぞらえて、仏さまの教えを説かれていました。

 いつの日にか「迷い」だらけの私の心にも、「さとり」の花が咲くことを願わずにはいられません。

合掌

《追記》講談社学術文庫679「法句経」で友松先生の名訳に接することが出来ます。仏教を学ぶ入り口として、お読みになることをお勧め致します。

(薬師寺執事長 大谷徹奘)

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